代表 荒井紀洋
社会保険労務士、採用定着士、経営心理士
仕組み経営コーチ、医療労務コンサルタント
承認ファシリテーター
代表 荒井紀洋 社会保険労務士
<略 歴>
1972年3月 新潟県北魚沼郡小出町(現在の魚沼市)生まれ
1990年3月 新潟県立六日町高校卒業
1994年3月 日本大学商学部卒業
卒業後は、ホームセンター、地方自治体、医療法人などに勤務
2008年 社会保険労務士登録
2020年9月 荒井社会保険労務士事務所を開業
<資格>
採用定着士、仕組み経営コーチ、経営心理士、医療労務コンサルタント
社会保険労務士、承認ファシリテーター
業務経験
2009年以降の約12年間は医療法人を中心に勤務し、主に人事・労務に関する業務に従事する
※12年のうち(東京都内で6年、新潟県内で6年)
病院・診療所・クリニックに勤務
これまで、人事・経理課長、事務長、事務局長など一貫して医療機関で人事、総務業務に携わる
〇採用業務
看護師、理学療法士、作業療法士、精神保健福祉士、管理栄養士といった専門職採用を中心に延べ400名以上の採用試験の運営および面接官として、採用に関わる
医師採用では、採用したい医師像をトップと協議しながら明確にしたうえで、募集媒体の選定、募集条件を決定
その後の紹介会社とのコンタクト、募集医師との面談、細かい採用条件の確認を行い、常勤医師1名、非常勤医師30名以上を採用
職員採用活動が現場の所属長任せになっていたところを、人事が統制することで組織全体の採用方針・手続きに一貫性をもたせる
〇労務管理
24時間365日稼働する医療機関ならではの勤務形態を前提とした人員配置の工夫を行うことで効率的な運営に寄与
労働災害では、針刺し事故の予防策をはじめ、近年医療・介護サービス業で増加する腰痛対策として、準備運動などの励行による発生防止
セクハラ、パワハラの防止、発生時の対応、処分といった業務を行う
〇人事・給与業務
就業規則ほか組織の規定を立案、修正
法改正時に諸規定をアップデート、これまでの内容に不備があれば追記
毎月職員500人の給与計算、社会保険手続き、年末調整の実務と進行管理
給与計算ソフトの選定、初期設定、設定変更
労働保険年度更新、社会保険月額変更、定時決定
地域への想い
地域医療の維持・継続は、地域住民の安心につながると考えます。
自分の生まれ故郷の人たちが安心して暮らせる地域を作っていきたい。
そのために自分の知識と経験を活かして、医療で働く方々を支えたい。
荒井のストーリー
地元の自治体に就職し、公務員として懸命に仕事をして上司、仲間に恵まれ充実した日々を過ごしていた。
しかし、学生時代からの経営コンサルタントになりたいという思いを捨てきれず、仕事にも生かせることから経済や経営の勉強を継続。
地方公務員にしては珍しいと思うが、地元新聞よりも日経新聞を好んで読む公務員。
異動などもあり、自分とは合わない上司に合う。その上司から「今の仕事ぶりでは、民間では通用しない。きっと他では通用しない。」の一言に発奮し、社会保険労務士の資格を取得して東京で民間企業に就職。
東京の社会保険労務士事務所に勤務するも、やはり独立して自分の事務所をもたないと士業の意味がないと、半年を経ずに退職、独立。
だが、コネなし、営業経験なしで事業資金の貯金だけが減っていくことに耐えられず、事務所をたたむことに。あまりの準備のなさと若さゆえの勢いだけではうまくいかないことを知る。
現在の事務所開業では、事前準備としてマーケティングを学び、12年間にわたり医療分野における人事・労務経験を積んだ。事務所を経営していく勘所も十分すぎるほどつかめ、10年後には3社を経営するという目標がある。
これまで6回離職し、それでも次の職が見つかり役職を与えられる。
6回の転職経験から「求職者から見た採用されるポイント」。人事で採用担当をした経験から「求人担当者から見た採用ポイント」の両方を熟知している。
独立の直前は、医療法人の事務局長を務め、総務、人事・労務ほか幅広く業務を担当した。
採用定着士 荒井の仕事の定義
私の仕事の目的は「採用した人が活躍する」こと
◯採用
メディカルスタッフを充足させたい医療機関、介護施設にその職場にマッチした人材が集まる求人の仕方をアドバイスする。
アドバイスにより応募数は従来の5倍に増え、募集を途中で打ち切ることもある。
◯定着
採用で業務終了ではなく、採用した人が、その職場に定着し、活躍するまでをサポート。
職場内での課題の可決提案と定着するための方策をアドバイスします。
◯活躍
医療機関の大切にしている理念・考えをヒアリングしたうえで、活躍の定義を定める。
活躍した人が評価される仕組みを作り、活躍する人が増え企業の発展に寄与する。
資格、所属団体など
資格など
・採用定着士(採用定着士勉強会講師)
・仕組み経営コーチ
・経営心理士
・医療労務コンサルタント
・雇用環境整備士
荒井のパーソナル
私がアルペンスキーを始めたのは、高校の授業がきっかけでした。
小学校、中学校と「ノルディックスキー」でしたので、ほとんどマラソンで滑った爽快感もなく、ただひたすら走るだけ。
それが、高校では授業でアルペンスキーをするのです。
雪国で生まれたのに、アルペンスキーをやったことがなく、高校1年生の時は全く滑れませんでした。
その時からなぜかスキーに目覚め、毎週末はスキー場で朝から夕方まで滑っていました。
スポーツコム浦佐国際スキー場(旧大和町:現南魚沼市)という、今はもう営業していないスキー場です。
その後、高校を卒業し大学生になってからも、高校時代の友人たちとスキーに行っていました。
当時は「モーグル」がはやり始めたころで、コブができやすい新潟の雪質に合っていたのかもしれません。
うまく滑れないことにもがき苦しみながら、果敢にコブに突っ込んでいき、跳ね飛ばされる毎日でした。
それがなぜか楽しかった20代でした。
その当時は、旧塩沢町(現:南魚沼市)のスキー場に行くことが多かったです。
・上越国際スキー場
・舞子高原スキー場
・石打丸山スキー場
ほかに
・六日町八海山スキー場(旧六日町)
・奥只見丸山スキー場(旧湯之谷村:現魚沼市)
・かぐら・みつまたスキー場(湯沢町)
現在は、六日町八海山スキー場(南魚沼市)や神立高原スキー場(湯沢町)へ行くことが多いです。
そのためにもシーズンオフ期間の体力作りが欠かせないのですが・・・
目下の目標は、ロッキー山脈でヘリスキー、パウダースキーを楽しむこと。
SAJスキー検定1級